永遠の【仮】〜勇氣凛々海の色〜

水中に目覚めた、水どう好きな道産子の日常。

らくごのご

毎年、沖縄本島、その他、離島もそれなりに回ってきたそうですが、なぜか宮古島には縁がなかったっていう立川志の輔が、落語をやりに来てくれました。

 

宮古島移住して、立川流の落語が聞けるとは思わず、喜び勇んでチケットを買いに行きました。

 

満席御礼完売だったそうで。

 

 

初めて聞いた生の落語が五代目の立川談志だったのと、その時の出来を、後々、本人が「あれ以上のものは、もうできないかもしれない」と言ったという『芝浜』でした。

 

ワタシは、とにかく運の良い人で、当の談志と同じエレベーターに乗り合わせたこともあれば、言葉を交わしたこともあり、ついでに言うなら、ミッキー亭カーチスとだって同じエレベーターに乗ってしまったこともあるのです。

 

 

宮古島に寄席はないですし、そもそも立川流は寄席ではやりませんし、なかなかもう落語を聞ける事なんてないと思っていました。

 

しかも、今や日本一チケットが取れないと言われる立川志の輔

 

東京在住時はまったく行けなかったのに、まさかの宮古島

 

到着した際は、まとわりつくジットリとした湿度に「んみゃーち!」されたそうです。

 

 

前座は、立川志ぃさー(藤木勇人)と、「立川シノマル」と聞こえたので、恐らく、志の丸でしょうか。

 

志ぃさーは、うちな〜噺家らしく時そば宮古島バージョンで。

 

お写真では、扇子をくばおーじにしてましたが、さすがにそうもいかず。 

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沖縄扇子、くばおーじ。

さすがに閉じれないので、高座では難しいですね。

  

 

シノマルは、「狸賽」

 

 

 

そして、志の輔が上がって、ゲリラ豪雨並みにダジャレをたくさん降らせてくれて、現代落語を一つ。

 

中入りがあって、再び、志の輔登場となった時、着物は袴スタイルにお色直しされていました。

 

「こういう着物も持ってるんだって見せたかっただけです」と、笑いを誘っていましたが、その姿に、ワタシは故五代目立川談志を重ね見てしまいました。

 

しゃがれ氣味の声で「えー…」と取る間合い、背中を丸めて肘をつくような姿勢といい、顔立ちも体型も似ているとは思えないのに、「家元がいる…」と。

 

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五代目立川談志が、落語協会なる団体を脱会してしまったことから、立川流は寄席に出ることはありません。

 

しかも、談志本人は「師匠」ではなく「家元」と言っていました。

 

まあ、なぜそんなことになったかは今のご時世ポチっと検索すれば概ねわかることなので置いておいて。

 

志ぃさーが演った「宮古そば」(本当にそんなタイトルかは不明)は、前座の鉄板ネタでありながら、宮古そばの特徴と宮古人の話し方をもしっかり心得ていないと演れない噺だと思いました。

 

シノマルが演った「狸賽」は、なぜその噺だったかはよくわかりません。

 

それより何より、志の輔が梅干し食べる仕草をした瞬間、アゴの付け根がジワジワしてきました。

 

「妾馬」で一升盃でお酒を飲むシーンでは、後ろから「終わったら、飲みに行こうぜ」って我慢しきれなくなったような声が聞こえてきました。

 

詳しい人に言わせると、食べる、呑むの仕草で、それが食べたくなったり、呑みたくなったりさせられないと一流とは言わないんだそうで。

 

実際、お酒の噺が得意な名人が出る寄席の周りには赤提灯が集まって商売繁盛したんだとか。

 

 

 

 

職人気質で口は悪いけれど、妹想い、母想いの主人公がベロベロに酔いながらお殿様にお願い事をする場面は、思わずウルッとしました。

 

もう滅多に会えない娘を想う母、初孫に会えない切なさ。

 

腕は良いのに道具を質屋に入れてしまう主人公のだらしなさもまた、愛嬌。

 

 

なんだかんだ、落語は面白いなぁと再認識した夜でした。

 

志の輔師匠は、単なるガッテンおじさんでも、ペヤングおじさんでもなかったです。