永遠の【仮】〜勇氣凛々海の色〜

水中に目覚めた、水どう好きな道産子の日常。https://letterpot.otogimachi.jp/users/19425

そこにあるキセキ、の話。

とあるSNSにて、知人の死を知る…ということが2回ほどありました。

 

親交が深かったわけでなくても、知っている人がこの世にもういないって事実は、そう簡単に受け入れられるものではなく。

 

何かの間違いではないかと方々聞いて回ったり、聞いて回った結果、その人たちもまた訃報を知ることになったり。

 

40代始めと50代半ば。

 

現代の日本の医学的見地からすれば、かなり若くしての死です。

 

 

病死、事故死、自然死、突然死、変死、自殺…いろいろなパターンがあるにしろ、たとえば長く闘病していたり、年齢が80代半ば超えとかなら、なんとなく、そういう時が遠くないと思える事もあるかもしれませんけれど。

 

もちろん、長生きすることがイコールで良い事なのかは、正直、わかりません。

 

それでも。

 

そう考えると、明日、また元氣に起きてご飯を食べて、くだらない話で大笑いする…。

 

元氣に起きて、大した事でもない事で泣く…。

 

元氣に起きて、小さな事で怒る…。

 

元氣に起きて、好きな人と話す…。

 

 

そんな日常というのは、奇跡の重なりとか、奇跡の連続なのかもしれないな、と。

 

 その奇跡の連続をなあなあに過ごしてしまうのは、勿体ないよな、とか。

 

この世での終わりを迎える瞬間、「あー、アレをやりそこねた!あー、コレもしたかった!あーー!あーーーーーー!!」って思いながら死ぬのか。

 

「あー、アレ…やっときたかったんだけど、まあでも、コレとソレはできたし…。アレは、来世に回すか!」って思いながら死ぬのか。

 

 

そこにあるキセキを知って生きるのか、知らずに死すのか。

 

それって、なかなかに重要じゃないのかなって。

 

 

 

 

 

 

レタポは、なぜJCBに対応していないんでしょうか。

レターが買えなくて困っています。

贈りたいのに。

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